Time is up

途中を終わらせたいんだ。

他人に映る理想自己と、現実自己と

 

「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」

村上春樹の小説『ノルウェイの森』に、こんな台詞がある。僕は初めて『ノルウェイの森』を読んだときから、この台詞がずっと脳裏に焼き付いていて、折に触れて思い出している。自分で自分に同情してしまいそうになるとき、いつもこの台詞に縋りついて、自分を戒めている。

 

先週、同じゼミの女の子が教室に入って来るなり開口一番に「忘年会やろうよ!」と言い出した。4年生の後期からそのゼミに入った僕は、その女の子とはまだあまり話したことがなかった。ただ、僕はその子に対しては割と良い印象を抱いていた。ゼミのメンバーの中でいちばん快活でよく喋る一方、その場の空気や状況に合わせて気を遣い、自分の振舞いや立ち位置を器用に変えることができる子だったからだ。彼女は公務員試験に晴れて合格し、来年の春から警察官になるらしい。ゼミの議論でも積極的に発言しており、勉強に対する意欲的な姿勢からも根が真面目な人だというのは伝わってくる。誰に対しても臆せず話しかけ、いつも明るく笑っていて、「なんでそんなにいつも楽しそうなの?」と訊いてみたくなるくらい、楽しげな表情を常に浮かべている。まだ知り合って数ヶ月しか経っていないけれど、僕は彼女に対してそのような印象を抱いていた。

その子は僕を含め他のゼミのメンバーからそれなりに好かれていたと思う。周りの間でも「いいキャラ」「良い子」で通っている雰囲気があるからだ。その子の忘年会の提案には誰も異存はなかったし、そもそもせっかくの提案に水を差すような人はあのゼミにはいなかった。「和気藹々とやっていこう」という方向性をゼミのメンバーが共有して大切にしている気がする。気軽に穏便に皆で仲良くやって行こうという雰囲気がゼミ全体にある。

教室に入って来るなり「忘年会やろうよ!」と切り出したその子は、僕の右斜め前の席に着いて、隣に座っていた女の子に笑いながらこう話しかけていた。

「ていうか私、毎日忘年会やりたいなぁ!毎日毎日、忘れたいことしかないし!もう毎日が黒歴史だからさ!」

話しかけられた女の子は、笑いながら適当に相槌を打っていた。いつも通りの会話らしい。けれども僕は、彼女の言葉を聞いて「は?」と意外に思った。「友達も多くて周りから慕われているのに」とか「第一志望の警察官に採用されて将来有望そうなのに」などという思いが、瞬間的に僕の頭をかすめた。また同時に、「ああ見えて彼女もいろいろ大変なんだな」と、彼女に対する同情の念が萌してきた。そして彼女のこの発言に対してさらに思いを馳せるうちに、また別の感情が湧き上がってきた。「毎日が黒歴史」だと笑いながら自嘲してしまえる彼女の心の強さに、僕は負けた気がして、自分が情けなくなったのである。

確かにそれは、そのときの彼女の口の勢いから出てきた言葉で、深い思い入れのある言葉ではなかったかもしれない。いや、むしろ僕はそう思いたかった。その場の勢いが口走らせた出まかせの言葉だと捉えてしまいたかった。彼女の真意はわからない。ただ僕は、その言葉を快活に話す彼女の目が笑っていないのを見逃さなかった。

彼女の表現を借りれば、僕も「毎日が黒歴史」だといつも思ってしまうし、それこそ「毎日、忘れたいことしかない」。とはいえ、僕が自分で「毎日、忘れたいことしかない」と発言しても、おそらくその発言に意外性はない。というのも、そういう後ろ向きな言葉を吐くことは、僕の人物的なイメージとあまり乖離がないから。「目が死んでいる」という僕を評した言及には、悲しくも慣れすぎている。

「毎日が黒歴史」などという言葉を吐くのは、それこそ目が死んでいるような人だというバイアスが僕の中にはあった。だから、楽天的な雰囲気を身に纏っている彼女の口からそのような陰気を帯びた発言が出たことは僕にとって驚きだった。また同時に、彼女に対してある種の「人間臭さ」のような印象を得ることができ、親近感も生まれた。考えてみれば当然のことなのだけれど、傍から見ればいつも幸せそうな人でも何かしらの苦悩を心のうちに抱えている。その苦悩を、普段の表情や振舞いに出してしまうか否かの思慮分別があるかの違いにすぎない。彼女はその分別を心得ていて、僕は心得ていない。それだけのことなのだ。

彼女は、自分の辛い本心を胸の内に仕舞い込んで見せない分別を心得ていてそれを巧みに実践している。そしてそうすることで、自分の苦悩や辛い本心と距離を置くことができている。その事実だけで僕は、彼女に羨望の眼差しを向けてしまった。辛いのに笑っている人は、その辛さに自分で同情していない。そういう人はおそらく、自分の感情に対して敢えて距離を置く勇気を持っているのだと思う。

「ていうか、ゼミでLINEのグループ作ろうよ!日程決めよ!」

忘年会の計画について滔々と話を進める彼女の姿を眺めながら、ふと「自分はまだまだ子どもだな」と恥ずかしくなった。もっと強い人間になりたい。僕はいつも自分に同情しすぎている。