Time is up

途中を終わらせたいんだ。

何気ない日常の平凡な風景

 

ただただ毎日を過ごしているとわからなくて、

ふと振り返ったときにやっとわかる。

あれは楽しかった、

あれは幸せだった、

あれは青春だった、と。

 

大学4年で卒業単位がすでに揃っている身としては、もはや大学に行って講義に出る必要がない。そして卒論も書く必要がない。これは法学部生最大の特典だろう。

とはいえ、ほぼ毎日大学へ行って何かしら勉強している自分がいる。講義が上手い教授の授業に出てみたり、興味がある他学部の授業に潜ってみたり、図書館で面白そうな本を読んだり   こんなことばかり、している。

だけどほんとうは、「いろいろ勉強したい」という思いよりも、「大学という空間に身を置きたい」という思いが強い。それはある種の執着に似た感情なのかもしれない。「学生」という身分を味わい尽くしたい。だから片道50分かけて、ほぼ毎日大学へ足を運んでいるわけである。

学生時代にしかできないこととは何だろうか。

海外旅行や一人旅、それもいい。だけどほんとうに今しかできないのは、大学へ行って大教室で講義を受けることじゃないかな。僕はそう思っている。それはあまりにも日常的で、あまりにも平凡すぎるから、価値が見えにくくなってはいるけれど。

 

来週から冬休みに入る。冬休み明けには、試験がある。その試験が終われば、春休み。

 

早い。全15回ある講義も気づけばもう終わりだ。

4年間の大学生活は、振り返れば何もしていないようにも思える。

もうずいぶんまえから薄々気がついていた。学生時代が終わる寂しさと切なさに。

気がついてはいて、いつか来るその日をぼんやり覚悟はしていて、毎日を大切にしようとは思いつつも、過ごしてきた。寂しさと切なさを先取りして味わっておけば、いつか来る「その日」が投げかけるであろう哀しさに、すこし耐性がつく気がしていたから。

 

そしてついに、ここまできた。

後期の授業も終わりに近づき、来週から冬休みになる。

「ああもうすぐ、ほんとうに卒業なんだな」

「もうこうやって、授業を受けることもできなくなるんだな」

そう思った冬の昼下がり。感傷にまみれすぎている。哀しさの先取りを繰り返す。

 

だけど先取りを何度繰り返しても、耐性はつきそうにない。

そしてだんだんと、先取りのはずだった哀しみはいよいよリアリティを帯びてきて、僕の胸を締め付ける。ずっとそうだ。先取りした哀しさが、からだの中を転げまわっている。「ああ俺、こんなにも自分の大学が好きだったんだ」と、振り返ったときにわかる素直な気持ち。汲めども尽きることのない寂しさと切なさが胸に湿る。

 

9時20分から始まる一限の授業。

「つまんねえな」と感じつつもノートをとったりボーっとしたりする90分間。

大教室に淡々と響く教授の声。

いつも決まって座る席。

名前は知らないけれど、なんとなく見覚えができた顔ぶれ。

「今日休むからレジュメもらっといてほしい!」という友人からの連絡。

キャンパス内が賑やかになる昼休み。

いつも昼飯を食べていたベンチ。

いつの間にかほとんど使うことがなくなった学食。

話し声と、笑い声と。

男女5人くらいでわいわい盛り上がっている風景。

騒がしくて、楽しそうで。

すれ違えば挨拶してくれる数少ない友人。

みんながどこかへ向かって歩いている。

たくさんの学生がいるキャンパス内の風景。

 

そのすべてが、もう自分とは無縁の世界になってしまうという寂しさ。何気ない日常の平凡な風景が、ひどく愛おしい。

それを胸に刻んで大切に覚えておきたいから、

すこしでも多く大学へ足を運んで、すこしでも長くその空気に触れていたい。