Time is up

途中を終わらせたいんだ。

誰かと会って楽しいということ

 

もうじき、私立文系大学生としての学生生活に幕を下ろそうとしている。その時節柄か、飲み会とか遊びとかに誘われる頻度がここ最近増えている実感がある。誰かに誘われれば、二つ返事で顔を出すことに決めることもあれば、「まぁもう会うこともないんだし」と半ば渋々とした心持で出向くことに決めることもある。どちらかと云えば後者の場合が多い。そしてもっと多いのは、適当な理由をつけて断ることである。

とはいえ相手からの誘いを臆面もなく断れるようになったのはここ数年のことで、それまではむしろ、誘いを断るということは極力せず、快諾して会う態度でいることに努めていた。

 

では、なぜあの頃の自分は相手からの誘いを断ることに躊躇いがあったのか。これについて、ずっと考えていた。そしてなんとなくではあるが、見えてきたことがある。

どういうことか。まず、「誘いを断ることに躊躇いを感じる」ことの根底にはいくつかの要因がある。そしてその要因として、大きく二つのものが考えられる。

まずひとつの要因としては、「相手からの誘いを断ることは失礼」という信念が自分の中にあったということである。要するに、「せっかく誘ってもらえたんだし…」という相手から与えられた機会を自分の気持ちひとつで潰してしまいたくないという思いである。そしてこのような「誘いを断る申し訳なさ」によって頭を擡げてくる後ろめたさに突き動かされ、あんまり仲良くなかったり、プライベートで会ってまで親睦を深めたいとも思わないような相手と渋々飲みに行ったり遊びに行ったりした経験は数え切れない。いまの自分ならさり気なく身を引いて断っていたような相手とも、時間を遣って会っていた。

もうひとつの要因としては、「人と会うことに楽しみを感じていたから」という背景が多分に影響している気がする。これは「人と会うことに対する期待」とも言い換えることができる。「あんまり仲良くしようとは思わないけれど、ひょっとしたら楽しいのではないか」という期待である。その期待を捨てきれないからこそ、「誰とも会わずにひとりで時間を持て余すよりは、ましかも」という比較衡量に進み、結局は会うことに決めてしまう。

 

そして以上の二つの要因は、相互に独立したものではなくて、「相手の誘いにどう応えようか」と思案する際に、しばしば符合する形で僕に迫ってくる要因である。つまり、「相手からの誘いには極力断らない」というスタンスを堅持していた頃の自分は、誘いを断ることに関して「誘ってくれた相手に申し訳ない」という気持ちが湧き上がってくる一方で、「あんまり気乗りしないけど、ひょっとしたら楽しい時間を過ごせるかも」という淡い期待が胸の底にはあったのである。そのような後ろめたさと期待が心中で渦巻き、自分でもなんだかよくわからなくなって、だんだん考えるのが煩わしくなって、仕舞いには半ば投げやりな形で「じゃあ会おうか」と決断していたのである。

ただ、このことを自分の中で吟味して考え直す機会があり、いまでは割と落ち着いて「誰かと会うこと」について向き合えている気がする。

と、ここで「自分の中で吟味して考え直す機会があり」とは云ったものの、何ら大袈裟なことではなくて、要するに上記で挙げた二つの要因を自分なりに噛み砕いて距離を置けるようになったという話である。それについては、また後日に。