Time is up

途中を終わらせたいんだ。

 

いつも決まってこの時間帯に目が覚める。起きるには早いが、もう熟睡もしていられない時間帯。カーテンから差し込む薄暗い朝日をまだ眠い眼で微かに捉え、一日の始まりを感じ取る。なんだ、今日は雨か。地面を叩きつける雨音を聴いてホッとする。僕は雨が好きだから。のんびりとした一日になりそうな予感と期待で胸が膨らむ。だけど今日を始めるには、まだ早い。起き上がることもなく、惰眠を貪る。

雨が好きだ。いや、好きというのとはまた違う気もするな。思い返してみると、雨の日はいつも気分が良い。単なる個人的な事実だ。気分が良い日の多くが雨の日だったという経験則から、「雨が好き」だと自分の趣味を帰納的に漠然と捉えているにすぎない。まあいいや。とにかく僕は、朝うっすらと目が覚めたときに雨の音が聴こえると、その日一日を気分よく過ごせそうな気がするのである。

雨が僕を落ち着かせてくれるのは、きっと僕があまり快活で活動的な人間ではないからだと思う。雨の日は時間の流れがいつもより遅い気がする。それは僕のペースに合っている。世の中がゆっくりしているのだ。雨雲に覆われた街は薄暗く閑散としていて、静かな香りが漂う。しばしば「雨の匂い」と形容される、あの匂い。外に響く雨音が、部屋の窓に面した大通りの雑音を遮り、僕にささやかな平穏を齎す。冬の訪れを仄めかす11月の肌寒さがいっそう厳しく感じられ、このままおずおずと冬を始めてしまいそうな気配が漂っている。そんな夕暮れ。雨を降らせる曇天に飾られた夕闇が、外の静寂さを彩る。傘を片手に、僕はようやく街へ出た。

およそ2ヶ月ぶりに、煙草を買った。特に理由はない。なんとなくそういう気分だったから。ただそれだけ。アルバイトまでの時間を、煙草でも吸いながら近くの公園でぼんやり過ごそうと思った。この公園は隣にあるオフィスビルと繋がっている。公園に面した二階のドアを開ければ、公園へ続く幅の広い階段の踊り場に出る。下の公園を一望できるその踊り場は小高い丘の様相を呈しており、丘の傾斜面全体が公園へと続く階段となっている。

その踊り場には「喫煙所」として、カラーコーンで喫煙範囲が区切られた空間がある。カラーコーンは申し訳程度に踊り場の片隅に設置されており、真ん中にスタンド灰皿が置かれている。人々はスタンド灰皿を囲う形で立ち竦み、目下の公園をとりとめもなく眺めながら煙を燻らせている。

公園に着いた僕は、隣のビルへと続く階段を上り喫煙所へと向かった。暗闇を灯す淡い朱色の点灯がちらちら遠目から見える。休日の夕暮れではあるが、僕と同じようにちょっと一服するために立ち寄っている人はいくらかいたようだ。

煙草を咥え、火を移す。たった2ヶ月ぶりだったけど、懐かしい気持ちがした。

「煙草なんて自傷行為の一つだよ」

煙草についてふと考えると、大学時代の友人が自らの喫煙習慣をこう語っていたのをいまでも思い出す。「喫煙は緩慢なる自殺」なんて言葉もあるくらいだ。友人は嘲笑いを浮かべながら冗談めかして話していたけれど、彼は何かに苦しんでいたのかもしれないな。いま思うと。

しんしんと降り注ぐ雨の中へ、灰色の煙を白い吐息とともに吐き出した。そこには無意識のうちにため息も混ざっていた。あ、これか。不意に、煙草を買った「なんとなく」の理由が飲み込めた気がした。たぶん、僕はため息を吐きたかったのだ。もっとも自然な方法で。ため息がため息に見えないような方法で。

煙草の先端からゆらゆらと立ち昇る煙の匂いが鼻腔をかすめる。地雨が齎す湿った香りに溶け込んで、煙たさは苦味にならない。

ため息を含んだ灰色の吐息の輪郭が、深くはっきりと暗闇を走った。