Time is up

途中を終わらせたいんだ。

少年法と格闘する(1)

 

世の中に法律はごまんとある。しかし、世間に広く知れ渡っているにもかかわらず、その根本的な存在意義を正しく理解されていない法律も数多くある。そして、そのような「正しく理解されていない」法律の一つとして、少年法が挙げられると思っている。

僕は法学部の学生で、少年法の授業は大学3年のときに受講した。ただ、大学で授業を受けて一通り勉強しても、「結局、少年法って必要なのか?」という素人的な疑問を恥ずかしながら拭うことができず、少年法を維持する現行法制度に納得できず悶々としていた。

しかしそれからも少年法については勉強する機会があり、少年犯罪がメディアに取り上げられ話題となる度に少年法については考えさせられていた。それに何より、「法学部で勉強しているのに少年法の存在意義を正しく理解できないのは恥ずかしい」という一法学部生としての青臭いプライドとも相俟って、自分なりに少年法とは格闘してきた。そして最近になってようやく、僕は少年法を理解できてきた気がするのである。今回は「そもそも少年法とはなんぞや」という切り口で、僕の現時点での理解の到達点から少年法について語りつつも、少年法のわかりにくさに一石を投じたいと思っている。

 

では、少年法について。そもそも世間一般の少年法に対するイメージの多くはこうだろう。

少年法が少年を守っている。」

「20歳未満が少年とされている。」

「少年だという理由で罪が軽くなる。」

少年法が少年を庇う構図が、少年犯罪を助長する要因の一つとなっている。」

「それゆえ少年法は今後も厳罰化が検討されるべきもの。」

などなど。

そして恥ずかしながら、少年法をある程度勉強した自分でさえも、このようなイメージを、「ほんとうは違う」と言い切りたいのだが上手く払拭できず、しばらく抱き続けていた。

上記のように少年法には諸々のイメージがあるが、そのイメージの根底にある共通項は結局のところ、「少年法は罪を犯した少年に対する処罰を減刑しているが、それについて理解できない」という非難の色を帯びた歯がゆい不満である。確かに、「少年」という理由で処罰が軽くなっている側面はある。が、厳密にいえば、それは軽くなっているように「見える」というだけなのである。「少年」だから「軽くする」という単純な構図で割り切って考えることは、実はできない。

ただ、「少年」という理由で処罰が「軽く」*1されることがあるのも事実である。では、なぜ「軽く」されることがあるのか。その理由は、「軽く」することがその少年にとって必要だと判断されたからである。ここで結論を先に述べてしまえば、少年法とは結局、「非行を犯したその少年に、最も必要な措置を与えてあげるために特別に設計された法律」なのである。つまり、その少年には刑罰を「軽くする必要」があった。だから「軽く」された。それだけなのだ。そして逆に言えば、「軽くする必要」がないと考えられれば、「軽く」されないのである。

要するに、少年法においては、少年一人一人に「必要な処遇」を個別的にその都度考えて決定し、与えたいという理念がある。その一方で、成人を処罰する刑法においては、少年法のような個別具体的な判断枠組みが法律上担保されていない。つまり刑法では、「この人に必要な処遇は何か」という一人一人の個別的な事情を考えることが予定されていない。だから少年法を作ったのだ。その人が犯した罪に対して画一的に刑罰を発動させる刑法とは違って、その少年の個別的な事情を汲み取った上でその少年にほんとうに必要な処遇を考えて決定するために、少年法は作られたのである。

そしてここで根本的な疑問に直面する。「ではなぜ、少年に限って、そのように一人一人の個別的な事情を斟酌して悩んでやる必要があるのか」と。また、この疑問は「少年法が少年を守る意義がわからない」という声を上げる人が抱いている不満の根底にある問題意識と共通している気がする。「少年を特別扱いする」ことに対する問題意識である。そしてこの問題意識を上手く噛み砕くことができない限り、少年法を理解することはおそらくできない。

「なぜ、少年一人一人の事情を逐一考えたうえで処遇が決定されるのか。」

「成人と違った取り扱いをするために少年法は作られたというが、少年を特別扱いするのはなぜなのか。」

少年法を理解する上で避けては通れない前提であり、同時にまた、最も理解されにくい理念でもある。そして少年法が「正しく理解されていない」のは、この理念が社会に広く浸透していないからだと僕は考えている。

 

続きます。

少年法と格闘する(2) - Time is up

*1:成人と比べて刑が「軽くされている」という表現は厳密に言えば適切ではない。ざっくり説明すると、成人に科されるのは「刑罰」であって、少年法が少年に課す「処遇」とは別のものであり、そもそも比較対象にならないからである。