Time is up

途中を終わらせたいんだ。

プレゼント

 

 

知り合いの誕生日は気に留めて忘れないようにしている。プレゼントを渡すためだ。

僕はプレゼントを選ぶことが好きだ。プレゼントというと、「何をあげていいのかわからない」という声を上げる人が少なからずいる。そう。プレゼントを選ぶのは難しいのである。何をあげれば相手が喜んでくれるのかわからない。「もらえるものなら何でも嬉しい」と言ってくれる相手であっても、やっぱり考え込む。考えに考えても結局わからなくて、もうどうでもよくなってしまいつつも、「いや、しっかり考えないと」と身を奮い立たせ、逡巡する。無駄に気疲れする。だから、「プレゼント選びが好き」と言う僕みたいな人はおそらく珍しい。ただ、僕が「プレゼント選びが好き」と豪語できるのは、前提としてまず、僕のプレゼントが毎回決まっているからである。毎回決まっているからこそ、プレゼント選びの気疲れに悩まされることがあまりないのである。では、僕が決まってプレゼントしているものは何なのか。本である。誰かに何かをプレゼントする機会がある場合、僕は本を贈るようにしているのである。だから、僕のプレゼント選びは「何をあげようか」ではなく「どの本をあげようか」というところから始まる。そしてプレゼントする本を選ぶ過程それ自体が面白いと思っている。自分が読んだことのある本の中から探すのは前提として、自分の好きな本ではなく、プレゼントする相手が「読むにふさわしい」本を考えて、選んで、贈る。その人が読めば素直に良さがわかるような本。その人と相性の良い本。そういった本を選んで贈るようにしている。そしてそのような本を上手く選ぶためには、その人の性格や趣向を日頃からよく観察しておく必要がある。なかなか奥が深いと思う。だから僕は「プレゼント選び」が好きなのである。

本のプレゼントは、みんな素直に喜んでくれる。しばらく経って「あの本、読んだよ」と声を掛けてくれることもある。そこからまた会話が広がるのも良い。それに僕は「相性の良さそうな本を選んだ」とか「きっと良さがわかってくれると思う」と一言添えて相手に渡しているから、「面白く読めた」とか「選ぶセンスが良い」といった感想はすごく嬉しい。それはそのまま、僕にとっていちばん応えるお礼の言葉になっている。

もらって嬉しいプレゼントというのはどういうものだろうか。もちろん、自分の趣味に合うものや、自分のニーズにマッチしたものがもらえれば嬉しい。「欲しかったもの」がもらえたのだから。ただ、プレゼントの嬉しさの本質は「欲しいものをもらう」ところよりも、もう少し別の部分にある気がしている。

おそらく、もらって嬉しいプレゼントの本質は「プレゼントを贈ってくれた相手が、自分のことを思って悩んでくれた背景」がなんとなく見えるところにあるのだと思う。誰かが自分を喜ばせるために悩んでくれていた事実それ自体が嬉しいのであって、その事実が間接的にうまく伝わるものであれば、プレゼントは何であっても構わない。そんな気がしている。そして本のプレゼントは、その「相手を喜ばせるために悩み考えた時間」が見えやすく伝わりやすいのだと思う。本をもらう。読んでみる。共感できる一節に出会う。そのときに、ちらりと「あの人は自分の共感を誘う本を選んでくれたのだ」と感じる。僕も友人から本をもらったことがあるからよくわかる。このとき、プレゼントの本を手渡されたときの嬉しさとはまた違った色の嬉しさが、込み上げてくるのだ。

 

僕はこれからもたくさんの人に出会い、本を贈る機会に恵まれると思う。どんな人に対しても、「この人と相性の良い本は何だろうか」「この人が楽しく読めるのはどんな本だろうか」と悩み考えたい。そしてそのためには当然、僕自身がさらに読書経験を積んで、読書の幅を広げる必要がある。もっと、本を読もう。