Time is up

途中を終わらせたいんだ。

 

僕は大学4年のとき、家庭裁判所調査官の試験に落ちた。 

 

ここで家庭裁判所調査官の仕事について簡単に言及しておく。

家庭裁判所の職員で国家公務員。よく誤解されるが、決して裁判官ではない。家庭裁判所といえどもそこで働くのは裁判官だけではなく、幅広い役職や立場の職員が家庭裁判所を運営し、支えているのである。家庭裁判所調査官は家庭裁判所を支える職種の一つだ。悪く言えば、家庭裁判所の歯車である(悪く言い過ぎかもしれない)。

それで、家庭裁判所調査官の実際の仕事は「調査官」の名がつく通り、調査することである。何を。具体的には、家庭裁判所が扱う事件は少年事件と家事事件があって、まず少年事件を担当する場合は、実際に非行少年と面談したり家庭環境を調べて少年調査票という書類にまとめる。そしてその少年調査票という書類が、裁判官が「この非行少年を少年院に送るべきか、保護観察につけるべきか云々」という最終的な決定を下す際の参考資料となる。要するに、裁判官が読む参考資料を作成するのである。その非行少年の何が問題なのか、家庭環境や背景事情も含めて調査してまとめる。

もうひとつの家事事件の場合は、出生認知から遺産相続まで幅広く、一筋縄で説明できる自信がないのだけれど、家庭裁判所調査官の役割はここでもやはり、裁判官の最終的な決定の判断材料となる資料を作成することである。法律問題を抱え家庭裁判所にやってきた家庭の情報を収集し、資料にまとめ、裁判官に提出する。裁判官は家庭裁判所調査官が作成した資料に基づき、最終的な決定を下す。

 

そして家庭裁判所調査官は、その調査の過程で、非行少年や親族と実際に面談、面接する機会が多い。そのため、裁判所の職員ではあるが、法律の知識に加え、心理学的な素養が全面的に求められる仕事であるとされる。

ゆえに、家庭裁判所調査官はいわゆる「心理系公務員」という位置づけがなされており、採用試験の科目も当然、心理学のウエイトが大きく占めている。

 

僕は法学部の学生だったから、家庭裁判所調査官の仕事を少年法の講義で知った。   

いまひとつイメージが掴みにくい仕事であるかもしれないが、自分は家庭裁判所調査官になりたかった。

その最大の理由は、「人の話を聴くこと」が求められる仕事であるからである。 

友人のちょっとした相談話を聴く、というレベルではなく、非行少年と一対一で話を聴いたり、家庭の法律問題で悩んでいる親族に実際に会い、話を聴くことができる。内容としてはかなりデリケートな部分に踏み込む。

自分自身、「人の話を聴くこと」は好きだし、興味がある。家庭裁判所で扱われるようなデリケートな内容なら尚更、真摯に耳を傾けたくなる。

だからこそ、人の話に真剣に耳を傾け、それを資料にまとめることで裁判所の運営に貢献できるという家庭裁判所調査官の仕事は、魅力的だったし適性もあると考えた。

 

けれども、思い通りにはならなくて。

いつもそうだ。いつもそうだから、不合格という結果に対しては、不思議と素直に受け入れることができた。「やっぱり俺ってこうなるよね」という達観が、すでに胸の底にあったのだろう。いつもそうだ。思い通りに物事が進んでいかない。高校受験も大学受験も第一志望には届かなかった。勝負事に弱い。本命を手に入れることの喜びを知らない。そして皮肉なことに、あらゆる本命を逃し続けた末に穏やかな諦念が染みつき、悔しさから距離を置くことを僕はいつのまにか覚えていた。

来年の春から社会人として、望んでいた進路とは別の道に進む。

大学入学のときもそうだった。入学しているにもかかわらず、「こんな進路を望んではいなかった」と忸怩たる思いをしばらくずっと噛みしめていた。

だけどいま、大学生活を思い返してみると、「この大学を選んでよかった」と感じることが多い。入学直後の暗澹たる気持ちが、むしろ懐かしい。僕はすごく単純な人間だ。

たぶん、僕はこれからも選択を迫られたとき、自分の望んだものは結局、選び取れないと思う。いままでがそうであったように。あらゆる本命、あらゆる第一志望をなぜかどうしても手に入れることができない。「なんであいつはいつも要領が良いんだ」と、世渡り上手に見える周りの人間にいつも羨望の眼差しを向けている。これからもきっとそうだ。だけど自分に同情してばかりいるのも格好悪いので、目の前のやるべきことに淡々と向き合っていこうと思っている。望んだ道ではないけれど。

どうせ数年後の自分が前向きな感情で解釈してくれる。